1. はじめに――「宮城の水は外資に売られた?」という疑問から

2025年、宮城県の水道事業をめぐって、全国的な議論が巻き起こりました。発端は、参政党の神谷宗幣(かみや
そうへい)代表
が参院選の街頭演説で語った内容です。

「なぜ宮城県は水道を外資に売るのか。日本人が毎日使っている水道の運営を、外資に任せていいのか。水道の民営化は命のインフラの切り売りだ。」

この発言はSNSやYouTubeを通じて瞬く間に拡散され、「宮城県は水道を外国企業に売った」「外資に日本のインフラが握られた」といった怒りや不安の声が噴出しました。

「水道料金が上がるのでは」「災害時の対応は大丈夫か」「地元企業や職員はどうなるのか」――こうした声は、保守・リベラル問わず、幅広い市民層から上がりました。

一方、宮城県は神谷氏の発言に対してすぐに反論し、7月中旬には正式に抗議文を提出しています。県の公式見解によれば、

「水道施設の所有権と最終責任はあくまで県にある。運営権を民間に一時的に委託しているだけであり、“外資に売却”というのは事実に反する」

という立場です。

果たして、どちらの言い分が正しいのでしょうか?

この問題は一見、行政手続きや契約スキームの話に見えるかもしれません。しかし、少し掘り下げてみると、その本質は極めてシンプルです。

「人間の生命に直結する“水”というインフラを、誰が・なぜ・どこまで握っているのか?」

そしてそれは同時に、
「県民の暮らしと将来を、行政がどこまで説明し、私たちがどこまで判断に関与できているのか?」
という、民主主義のあり方そのものを問う問題でもあります。

本記事ではまず、宮城県が導入した「コンセッション方式」とは何かを整理しながら、フランス資本の水道大手・ヴェオリア社がこのスキームの中でどこまで関与しているのかを、公式資料と報道をもとに検証します。

そして、

  • なぜ「外資に売った」と受け止められたのか

  • それは単なる誤解なのか、それとも“もっと深い問題”を突いていたのか

  • 県民や日本社会は、どのような構造的リスクを抱えているのか

について、論理と感情の両面から丁寧に考えていきます。

これは決して「地方だけの話」ではありません。

「自分の地域の水」が、いつの間にか誰かのビジネス戦略の中に組み込まれていたとしたら?

気づいたときに遅すぎないよう、今こそ立ち止まって考える時です。
あなた自身の“水の未来”を、ここから一緒に見つめてみましょう。

2. コンセッション方式とは何か――“所有は県、運営は民間”という仕組み

宮城県が水道事業に導入したのは、いわゆる「コンセッション方式」と呼ばれる民間活用スキームです。

一言で言えば、「公共インフラの所有権は自治体に残したまま、その運営権だけを民間企業に一定期間移譲する契約方式」です。

水道施設や配管といったハード面の所有権はあくまで県が持ち続け、老朽化対策や料金徴収、日常の管理運営などソフト面の実務を民間が担うという設計になっています。

この方式は2011年に改正されたPFI法(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)によって地方自治体にも導入が可能になり、官民連携(PPP)の一種として整備されてきました。

なぜ宮城県はこの方式を採用したのか?

県の公式見解や資料によれば、導入の理由は主に次の3つです。

① 水道施設の老朽化と更新費用の重圧

日本全国の水道インフラは高度経済成長期に整備されたものが多く、配管や施設の老朽化が深刻です。宮城県も例外ではなく、耐用年数を超える設備が急増しています。

こうした更新には多額の投資が必要ですが、地方財政は逼迫しており、県単独での対応は限界に近づいていました

② 人口減少による水道料金収入の減少

宮城県では、少子高齢化と過疎化が進み、水道の利用量=料金収入が減少傾向にあります。人口1人あたりのインフラ維持コストが上がる一方、利用者負担で賄うにも限界があります。

つまり、「水を使う人が減るのに、施設は維持しなければならない」という構造的矛盾に直面していたのです。

③ 技術者・職員の高齢化と人材不足

県の職員や水道管理部門の技術者も高齢化が進み、退職者が増加。水処理や施設保守に精通した人材が足りないという危機感も、導入を後押ししました。

国の支援と制度整備の影響

実はこのコンセッション導入は、宮城県独自の判断というよりも、国の制度的な後押しの中で選択された流れがあります。

  • 2018年:改正水道法が可決
     → コンセッション方式導入を法律上明確化

  • 国交省や内閣府が「水道事業の持続可能性確保」をテーマに自治体に導入を推奨

  • 財政支援や制度的優遇(交付金、スキーム協議)もセットで提供

宮城県はこの流れの中で、全国初の「県単位での水道コンセッション」という事例としてモデルケース化された側面も強いのです。

だが、そこに落とし穴はなかったか?

たしかに、上記のような背景から「民間のノウハウを借りる」のは一つの解決策です。特に人口減少が進む日本では、自治体だけでインフラを守りきれないという“現実的課題”があるのも事実です。

しかし、「公共インフラの運営を誰に任せるのか」「その企業がどんな実績・意図を持っているのか」――この問いへの十分な説明と議論がなされないまま、制度だけが先行してしまったのではないかという批判も根強くあります。

そして実際に、ヴェオリアというグローバル企業が“51%の議決権を持つ形で維持管理の中核を担う”ことになることで、市民の間に「これはもう民営化ではないか」「外資に売られたのでは?」という感情が湧き起こったのです。

3. 宮城県における導入の経緯と事業構造――「みずむすび」の中身を解きほぐす

宮城県がコンセッション方式を導入するにあたり、設立されたのが2つの中核企業です。

1つは、県から水道事業の運営権を20年間委託された「みずむすびマネジメントみやぎ(MMC)」。
もう1つは、その実務を担う維持管理会社である「みずむすびサービスみやぎ(以下OM会社)」

この“二層構造”こそが、制度としてのコンセッション方式の特徴であり、そして同時に今回の「外資に水を売ったのか?」という疑念の中心でもあります。

MMC(運営会社):形式上の主導権は日本企業に

まず、みずむすびマネジメントみやぎ(MMC)は、運営権を持ついわゆる「特別目的会社(SPC)」です。
この会社は、国内企業10社による出資で成り立っており、中でもメタウォーター株式会社が議決権ベースで51%を保有
しているとされています。

メタウォーターは上下水道や浄水プラントの大手企業で、元々は富士電機・日本ガイシなどの上下水インフラ部門が統合された、言わば「準公共型の民間技術企業」です。

宮城県は、「MMCはメタウォーター主導であり、外資は過半を握っていない」としており、
形式的には“日本企業による運営”という体裁が整えられている形です。

OM会社(維持管理):ヴェオリアが過半を保有する実務部門

一方、住民の生活に直接かかわる現場の業務を実際に担うのは、もう一つの会社――みずむすびサービスみやぎ(OM会社)です。

ここでの出資構成はまったく異なり、フランス資本の「ヴェオリア・ジェネッツ(日本法人)」が株式の51%を保有しています。
残りのうち33.5%をメタウォーターが保有しており、県はこれをもって「拒否権がある」と説明しています。

つまり、こうなります:

会社名 主な役割 主な出資者(議決権)
みずむすびマネジメントみやぎ(MMC) 運営契約の受託・料金収受・契約主体 メタウォーター(51%)主導
みずむすびサービスみやぎ(OM) 実際の維持管理・現場オペレーション ヴェオリア・ジェネッツ(51%)主導

ここで問題になるのは、議決権51%を保有するということは、日常業務の方針や人事、予算執行などを単独で決定できる普通決議が可能ということです。

つまり、形式上の運営主導権は日本企業(MMC)にありながら、実務の中核を外資系企業が握っているという構造になっているのです。

村井知事の発言:「拒否権があるから問題ない」は本当か?

2025年7月17日、宮城県の村井嘉浩知事はこの点に対し、次のように発言しました(記者会見より引用):

「OM会社、ヴェオリア・ジェネッツが51%(株式を)持っておりますけれども、メタウォーターが33.5%持っていて、拒否権を持っている。ここが勝手なことは絶対にできません。」

この発言は、いわば「外資主導ではない」と強調する意図によるものですが、見逃してはならないのは次の点です。

  • 拒否権が発動できるのは、会社法上の“特別決議事項(定款変更・合併・解散など)”に限られる。

  • 日常業務や人事、契約、経費運用など“普通決議”に分類される実務判断には、拒否権は効かない。

つまり、“命に関わる水の現場”をどのように運営するかという日々の意思決定については、ヴェオリアが単独で判断可能な領域が多いのです。

「形式と実態の乖離」が不信感の根本

ここにこそ、住民の不安の根源があります。

県は「形式上の所有権は県」「MMCの主導は日本企業」と強調しますが、
日常の水道の維持・管理という“実態の中心”を握っているのは外資企業であるという現実が、県民の肌感覚とズレを生んでいます。

しかも、その外資――ヴェオリアは海外で数々のトラブル(料金高騰・水質問題・契約破綻など)を起こしてきた企業であり、日本とは価値観も責任感も異なる企業文化を持つプレイヤーです。

「何かあったとき、誰が責任を取るのか」
「本当に、地域住民の利益を最優先してくれるのか」

そうした問いが、制度設計の内側からわき上がってくるのです。

4. 「ヴェオリア51%」の意味とは――“議決権”という見えない支配力

宮城県が導入した水道事業のコンセッション方式において、維持管理を担う「みずむすびサービスみやぎ(OM会社)」の株式の51%をフランス資本のヴェオリア・ジェネッツが保有している――。この“数字”の意味を、どれだけの人が正確に理解しているでしょうか。

多くの県民が抱いた「外資に水を売ったのでは?」という感覚は、決して見当違いなものではありません。

なぜなら、「議決権51%の保有」とは、企業経営においては単なる“出資比率”を超えた、事実上の支配権の象徴だからです。

51%保有とは、“日常業務を単独で決められる”ということ

株式会社における通常の意思決定は、「株主総会の普通決議」によって行われます。この普通決議に必要な賛成比率は、過半数(=50%超)。つまり、51%の株式を持つ企業は、それだけで会社の運営方針、人事、契約などの日常的な判断を単独で可決できるのです。

ヴェオリアがこの比率を保有しているOM会社は、まさに「現場の水道インフラを維持・管理する主体」であり、
・配管修繕のスケジュール
・スタッフの配置と研修
・外注先の選定と予算執行
といった、住民の生活に直結する実務の中枢を担います。

つまり、県民が日々使っている“蛇口の向こう側”を、外資が単独で動かせる構造になっているのです。

「拒否権があるから大丈夫」なのか?

村井知事は「メタウォーターが33.5%を持っており、特別決議に対する拒否権を有している。だから勝手なことはできない」と説明しています。

これは法律上、たしかに一部正しい説明です。株式会社における「特別決議」(定款変更、解散、合併など)には、株式の3分の2以上の賛成が必要となるため、33.4%以上を持つ出資者にはブロッキングパワー(拒否権)が与えられるからです。

しかし、問題は次の2点です:

  1. 日常業務は“普通決議”で決まり、拒否権は効かない

  2. メタウォーターは民間企業であり、“県民の利益代表”とは限らない

メタウォーターは「県民の代理人」ではない

県の説明では「メタウォーターが歯止めになる」と語られますが、これは公共性とガバナンスを混同した論理です。

メタウォーターはたしかに日本資本の企業であり、水道分野の大手ではありますが、その経営方針や投資判断の最優先事項は株主価値の向上=営利の確保です。

つまり、

「ヴェオリアの暴走に歯止めをかける存在」として機能するかどうかは、メタウォーターにとってそれが“自社の利益になるかどうか”に左右される

という現実があります。県民や利用者の生活や命が優先されるかどうかは、出資比率ではなく、企業行動の動機とインセンティブの構造によって左右されるのです。

出資構造ではなく、支配構造を見るべき

この問題で本当に見るべきは、「外資が51%持っているか否か」ではありません。

もっと重要なのは、

  • その出資によって何が決められるのか(決議権の範囲)

  • その決定によって誰が得をし、誰が損をするのか(インセンティブ構造)

  • 最終的にトラブルが起きたとき、誰が責任を取るのか(責任構造)

という、“実効的支配”の構造分析です。

そして、現在の宮城県の水道事業では、実務を担う中核において、まさにその支配構造が外資企業主導で設計されてしまっているのが現実です。

知事の説明は“部分的には正しい”が、全体像を覆い隠している

村井知事の「拒否権がある」「所有権は県にある」という主張は、形式的・法的には成立しています。
しかし、それは“制度説明の正しさ”であって、“住民の実感に応える誠実さ”ではないという点に注意が必要です。

県民の懸念は、「水道施設を誰が所有しているか」ではなく、「自分たちの水が、誰の判断で、どのように運営されているのか」にあるからです。

つまり、

・「説明としては正しいが、信頼を得るには不十分」
・「制度設計としては合っているが、リスク評価としては過小」

このような“部分的な正しさ”によって、本質的な危険性が見過ごされている――
これこそが今回の構造的な問題点なのです。

5. 海外の事例とヴェオリアの実態――「水ビジネス」の名のもとに起きたこと

宮城県の水道事業に関わる外資系企業「ヴェオリア」は、世界中で水道・エネルギー・廃棄物処理事業を展開するフランス本社の多国籍インフラ企業です。
その規模と経験を評価する声がある一方で、世界各地でのトラブルや社会的対立の歴史もまた事実として記録されています。

ボリビア:水を守るために人々が立ち上がった「水戦争」

最も有名な事例は、2000年にボリビア・コチャバンバ市で起きた「水戦争(Water
War)
」です。

当時、ヴェオリア傘下の企業が水道の運営を引き受けた直後、水道料金が従来の2〜3倍に跳ね上がりました。しかも貧困層ほど打撃が大きく、家庭だけでなく、農業用水や井戸水にまで課金が試みられたとされています。

市民は猛反発し、数万人規模の抗議デモへと発展。政府と治安部隊との衝突で死者まで出る騒動になり、最終的には契約が破棄され、水道事業は再び公営に戻されました

この事件は、「水は人権か、商品か?」という問いを世界に突きつけ、今もなお水道民営化を考える際の警鐘となっています。

(参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Cochabamba_Water_War

フィリピン:公共サービス契約破棄と民間事業者による国際仲裁訴訟

フィリピン・マニラでは、現地民間事業体が上下水道を運営していましたが、断水の多発、水圧低下、契約上の義務違反などを理由に、政府との対立が長期化しました。

2019年には、フィリピン政府が民間事業者との契約を「国益に反する」として破棄を検討。これに対し、事業者側が国際仲裁裁判所に訴えたことが報じられ、「公共サービスを止めたのに企業は損害賠償を求めてくるのか」と世論の怒りを買いました。
「水道の利益優先運営」というイメージが強化された事件となりました。

フランス・パリ:再公営化の象徴的事例

驚くべきことに、ヴェオリアの“母国”であるフランスでも、民営水道からの「再公営化」が進んでいます。

パリ市では、1985年からヴェオリアを含む複数の民間事業者が水道を運営していましたが、料金の不透明性・利益の過大計上・老朽設備の放置などが批判され、2009年に再公営化が実施されました。

その後、市の発表によれば、

  • 職員の再配置による効率化

  • 利益の市民還元

  • 情報の透明化と住民参加の推進

などが進められ、「水は公共財であるべき」という原点回帰が市民の支持を集めたとされています。

参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Eau_de_Paris

ドイツ・ベルリン:公営回帰に向けた住民投票

ドイツ・ベルリンでも同様の動きが見られました。1999年、ベルリン市は水道事業の一部を民間化し、ヴェオリアが出資。
しかし契約内容が不透明だったことに加え、料金上昇とサービス品質の低下が問題視され、住民投票により契約の公開が義務付けられたのち、最終的には公営化に戻る決断が下されました。

このように、欧州先進国ですら「一度民営化した水道を再公営化する」という事例が相次いでいるのです。

参考:https://europeanwater.org/news/news-from-the-ground/256-berlin-water-back-in-public-hands

アメリカ・フリント:水質問題と民間管理の限界

アメリカ・ミシガン州のフリントでは、州政府によるコストカットのための水源切り替えが原因で、鉛汚染による水質被害が発生。直接の原因は自治体ですが、インフラ維持や管理の民間委託がなされていた中で、危機への対応が著しく遅れたことが問題視されました。

その後、アメリカ国内でも「公営による責任ある運営」の重要性が見直されつつあります。

なぜ“外資に命のインフラを委ねる”ことが問題なのか?

こうした海外の事例を見れば明らかなように、水道というインフラを営利企業に任せた結果、住民が被害を受けたり、契約破棄によって再公営化を余儀なくされたケースは決して珍しくありません。

しかも、これらの国々は日本よりも水道料金が高く、事業規模も大きいにもかかわらず、利益優先と公共性のバランスを取るのが困難であるという結論に至っています。

にもかかわらず、世界でも屈指の清潔で安価な水道サービスを維持してきた日本が、いま外資にその一部を委ねようとしている
それは、世界的に見ればむしろ「例外的」であり、「なぜ今ここで?」という問いが自然に浮かび上がってくるのです。

日本で同じ轍を踏まないために

「ヴェオリアは世界中で実績がある」という説明は、確かに“実績”の数だけで言えば正しいかもしれません。
しかしその実績の中には、市民生活の基盤を脅かした“負の事例”も多く含まれていることを忘れてはなりません。

そして宮城県は、そんな企業に51%の議決権を与え、日常業務の舵取りを許してしまった
それが、単なる委託や技術協力を超えた“構造的な支配”に近いのだとすれば――私たちは、世界の事例から学ぶ責任があるのではないでしょうか。

6. なぜ51%を求めたのか? ヴェオリアの戦略的インセンティブ

宮城県の水道事業において、維持管理会社「みずむすびサービスみやぎ」の株式の51%をヴェオリア・ジェネッツが保有しているという事実。

これは単なる「出資比率」ではなく、企業戦略として明確なインセンティブ(動機)と意味づけを持った比率です。なぜヴェオリアは“50%超”にこだわったのか?そこには、いくつもの合理的な理由が存在しています。

1. 意思決定の主導権を確保するため

企業経営において「議決権51%の保有」は、普通決議を単独で可決できるラインを意味します。つまり、日常的な運営に関する重要な意思決定(人事・契約・予算・業務計画など)を、他の出資者の同意なしに進めることができるということです。

これは企業にとって大きな利点であり、特にヴェオリアのような巨大インフラ企業にとっては、自社の運営モデルや調達ルールを現場にそのまま適用できる自由を意味します。

「口を出されずに自分たちのやり方で水道を動かしたい」
この当然の企業心理こそが、“51%”の本当の意味です。

2. 投資回収と利益配分を優位に調整するため

インフラ事業は初期投資が大きい反面、リターンは年単位で徐々に回収するモデルが一般的です。そのため、企業は「中長期で確実に利益を得る権限」を求めます。

過半数を握っていれば、利益配分の方式、下請け業者の選定、資材調達先の指定など、利益構造全体を自社主導で設計できるようになります。

たとえば:

  • 自社の関連会社に業務を発注し利益を循環させる

  • 人件費を抑え利益を最大化する

  • 資材や設備をグループ企業から購入することで、間接的に収益を増やす

このような構造的メリットを得るには、多数決での主導権が必須なのです。

3. 技術・ノウハウの標準化による“運営支配”

ヴェオリアは「世界標準の運営ノウハウ」を売りにしており、各国で統一されたマニュアルやIT管理システムを導入しています。

議決権を確保していれば、こうした自社式モデルを地方の現場にそのまま展開でき、教育コストや運営管理コストを効率化できます。
一見「合理的」に見えますが、それは同時に、地域事情や文化に対する柔軟性を排除する危険性もはらんでいます。

つまり:

「地域のための水道」ではなく、「ヴェオリアの経営に最適な水道」へと変質する

その第一歩が「議決権51%」なのです。

4. 将来的な売却・撤退の自由を担保するため(=非可逆リスク)

ヴェオリアのような多国籍企業は、経済情勢や戦略の変化に応じて保有資産の売却や事業撤退を繰り返してきた過去があります。
出資比率が過半を超えていれば、将来的に県や他の出資企業の同意なしに保有株式を第三者に売却できるケースもありえます。

もし、突如としてヴェオリアが:

  • 経営合理化で日本市場から撤退

  • 投資ファンドに株式を譲渡

  • 経営破綻・再編の対象になった場合

県民や県は、水道事業の維持管理会社の運営権を、まったく面識のない外部勢力に握られる可能性を否定できなくなります。

これが「非可逆リスク(reversibility risk)」です。
一度民間の“過半出資”を許してしまえば、その構造を後から修正するのは極めて困難になるのです。

結論:51%出資は「実務の完全支配」を意味する

宮城県が説明するように、確かに「形式上の所有権」は県にあります。
しかし、実質的に水道の“ハンドル”を握っているのは誰なのか?

その答えが、「ヴェオリアが過半を持つOM会社」である限り、
その支配力は形式的なものではなく、構造的な“現実”として存在しているのです。

そしてその設計は、たんに「技術を任せただけ」ではなく、“利益の源泉としての水”をどう運営するかを外資に委ねる構図であることを、私たちは見逃してはならないでしょう。

7. 民営化ではない? という言葉のトリック――「鍵を持つのは誰か」

宮城県が水道事業のコンセッション方式を導入した際、県側が繰り返し強調した説明があります。

「あくまで水道施設の所有権は県にあります。民営化ではありません。」

一見すると安心できる説明のように思えます。
しかし、この言葉には重大な誤解を招く“トリック”が潜んでいます。

所有権が県にあっても、運営の実態は民間が握っている

たしかに、法律上、水道施設(浄水場や配水管など)の資産は県が保有し続けています。
しかし、それらをどう運営するか/誰が日々の判断を行うかという運営実態は、
維持管理会社である「みずむすびサービスみやぎ」=ヴェオリア主導の企業に任されています。

つまり、

「県の資産ではあるが、鍵はヴェオリアが持っている」
という構造になっているのです。

「鍵」を持つということは、意思決定権を持つということ

水道の運営とは、単なる設備の所有ではありません。

  • 修繕の優先順位をどうするか

  • 人員をどこに何人配置するか

  • 小さな不具合への対応をいつ・どう行うか

  • 災害時にどう動くか、情報公開をどうするか

こうしたすべての“日々の判断”が、実際に県民の生活を左右します

その意思決定の大半が、議決権51%を持つヴェオリアの側にある以上、「所有権が県にあるから安心」と言うのは、形式的な説明にすぎません

所有と支配は違う――問うべきは「誰が水道のハンドルを握っているのか」

これは車に例えるとわかりやすいかもしれません。

たとえ所有者があなた(県)でも、運転席に座ってハンドルを握っているのが他人(外資)であれば、
実際にその車がどこに向かうのかは、あなたではなく運転者の判断に委ねられます。

「県が所有している」とは、名義上の所有者でしかない
「ヴェオリアが運営している」とは、実質的な支配者である

この構造の中で、“民営化ではない”という説明がどこまで説得力を持つのか、改めて問われるべきです。

「民営化」という言葉を避けることで何が失われたか

おそらく行政側は、「民営化」という言葉に対して県民の不安や反発が強いことを察知し、それを回避するために「コンセッションは民営化ではない」と説明したのでしょう。

しかしその結果、実態と感覚のギャップが広がり、
かえって「本当のことを言っていないのでは?」という不信感を呼ぶ結果となりました。

しかも、議会での議論も、専門用語と形式的説明に終始し、
「県民が納得して契約を進めたとは到底言えない」状況が続いています。

「民営化ではない」は、説明責任の放棄

水道という生命インフラのコントロールを誰が持っているかは、単なる法律上の分類ではなく、住民の暮らしを守るための本質的な問いです。

「所有権があるから安心」という言葉は、その問いに真正面から向き合わず、
制度の壁に隠れて本質から目をそらす、説明責任の回避に他なりません。

水道の“鍵”を握っているのは誰か――この問いに正直に答えることこそ、
今、最も行政に求められていることではないでしょうか。

8. 宮城県民にとっての本質的な問い――形式ではなく「暮らし」の視点から

ここまで見てきたように、宮城県の水道事業は「所有は県、運営は民間」というコンセッション方式のもとで運用され、実務部分の維持管理は外資系企業であるヴェオリアが過半の議決権を持つ構造となっています。

形式的には合法で、契約上の整合性もあるかもしれません。だが、それでもなお、宮城県民が抱く“素朴な違和感”や“本能的な危機感”は無視できない問いを投げかけています

出資構造ではなく、「公共性」「安全性」「回復可能性」が本質である

水道事業において何よりも優先されるべき価値は、「公共性」と「安全性」、そして「回復可能性(reversibility)」です。

  • 公共性とは、誰にとっても公平に、無理のない料金で、水が安定供給されること。

  • 安全性とは、事故や災害が起きても迅速に対応でき、情報が適切に公開されること。

  • 回復可能性とは、もし制度設計や民間企業の方針が県民の不利益に傾いたときに、元に戻すことができる柔軟性のことです。

ヴェオリアが51%の議決権を握っている今の構造では、これら3つの価値がいずれも“危うい足場”の上に置かれていると言わざるを得ません。

一部業務の民間委託と、“支配”としての民間出資は根本的に異なる

「これまでも民間企業に委託してきたのだから、今回も同じ」という声があります。しかし、それは本質的な誤解です。

従来の委託は、たとえば水質検査や管路工事など、一部業務を“実施主体として外部に委ねる”ものでした。
発注者である県が常に主導権を持ち、契約更新・改善指導・再委託などの選択肢も柔軟に取ることができました。

一方、今回のような過半出資による企業構造の変更は、単なる実務の外注とはまったく異なります。
これは企業ガバナンスの話であり、意思決定の支配構造そのものを再編してしまうものです。

つまり:

委託:県が主導し、民間が実行する
コンセッション(出資主導):民間が主導し、県が契約で制限する

この違いを理解せずに「同じことをやってきた」と説明するのは、住民の感覚からすれば不誠実です。

県民はこの決定に参加できたのか?

もっとも根本的な問いはこれでしょう。
「この制度変更を、県民は理解し、納得したうえで受け入れたのか?」

実際には、そうではありません。

パブリックコメントの統計(2019年)

宮城県が2019年に実施した「実施方針(素案)」への意見募集では、計636件の意見(611人・6団体・4企業など)が寄せられましたが、
そのうち賛成と明確に表明されたのはわずか13件のみ
でした(参考:自治総研Web記事)。

つまり、全体の約98%は賛成ではないか、慎重意見・反対・不明という立場だったのです。

世界科学出版によるアンケート調査(2024年)

さらに、世界科学出版による調査研究(2024年)では、宮城県内300人を対象にしたアンケートにおいて、

「外資による過半支配に不安を感じる」
「制度変更の過程が十分に説明されていない」
という回答が多数派を占めたことが示されました
出典:World
Scientific論文概要
)※英文。

情報公開・住民参加の機会が不十分だった

県による説明会は県内数カ所で開催されたものの、参加者数は各回数十人規模にとどまり、全体から見ればごくわずかな層に限られたものでした(参考:みやぎの水道ブログ)。

また、市民団体「命の水を守る市民ネットワーク・みやぎ」が行った県議選候補者アンケートでは、
「情報が不十分」「制度の進め方に問題あり」と回答した候補者が6〜7割にのぼり、住民も政治家も不信を抱いていたことが明らかになっています。

県民の理解と合意のない制度に、正当性はあるか?

議決権や契約書の整合性以前に、制度が住民の信頼を得ているかどうかは、公共インフラにとって極めて重要な基準です。

宮城県のコンセッション方式は、

  • 手続き的には合法でも、

  • 民主的正当性と住民の納得という点では、
    深刻な課題を抱えていると言わざるを得ません。

この制度の真の評価軸は、「県民の声を聞いたかどうか」である。

次章では、こうした背景を踏まえ、「なぜ今、再考すべきなのか?」という問いを総括として提示します。

「間違っていたら戻せる」仕組みはあるか?

もうひとつの重要な視点が、「この仕組みが失敗だったと判明したとき、元に戻せるのか?」という点です。

現在の契約は20年間。途中解約には多額の違約金が発生し、県側が契約を一方的に打ち切ることは極めて困難です。
つまり、一度この制度に入ってしまえば、県民がどれほど不満を持っても、すぐに是正する手段がないのです。

民主主義社会において、「間違っていたらやり直せる」ことは極めて大切な原則です。
それが不可能な設計になっている時点で、この制度はすでに公共性の基盤から逸脱していると言えるでしょう。

今こそ「制度の正当性」ではなく、「生活の現実」を起点に問うべき

議決権、出資構造、PFI法――どれも法的に整った形式かもしれません。
しかし、その整然とした制度の裏にあるのは、県民一人ひとりの暮らし、命、将来の安心です。

形式の正しさだけで制度を肯定してしまうのではなく、
「この仕組みで、本当に安心して水を飲み続けられるのか?」という現実的な問いを投げかけることが、今の私たちに求められている姿勢ではないでしょうか。

9. 結論:なぜ今、再考すべきなのか――「当たり前の疑問」が尊重される社会へ

ここまで見てきた宮城県の水道事業コンセッション問題は、単なる一自治体の行政手法の話ではありません。

それは、私たちが日々口にする「水」という、最も根源的な公共インフラを、
誰が管理し、どこまで委ね、将来にどんな影響を残すのかという、社会全体に突きつけられた問いです。

「外資に支配されているのでは?」という声は、陰謀論ではない

この問題を取り上げると、「感情的な反対」「根拠のない不安」として軽視されることがあります。
しかし、ヴェオリアが51%の議決権を保有し、日常業務の実質的な主導権を握っている構造を見れば、
「水が外資にコントロールされているのでは?」という懸念は極めて合理的かつ自然な疑問です。

それを一笑に付すのではなく、むしろ「なぜそのような構造になったのか」「本当にそれでよいのか」を問い直すことこそ、
健全な民主社会のあるべき姿です。

公共インフラは、制度ではなく“信頼”で支えられている

コンセッション契約は合法で、文面上は整っているかもしれません。
しかし、公共インフラの根幹にあるのは「契約の整合性」ではなく、地域住民との信頼関係と説明責任です。

水道は税金と料金で運営され、トラブルが起これば命にも関わります。
であればこそ、制度が「正しいか」だけではなく、住民が「納得できるか」「声が届いているか」という視点が、最も大切なのです。

これは宮城県だけの問題ではない――全国への問いかけ

この事例は、今後同じように人口減少や財政難に直面する全国の自治体にとって、重大な前例となります。
一度構造的に外資や民間が支配的地位を持てば、他自治体でも「仕方ないから任せよう」という流れが生まれるかもしれません。

しかし、それは本当に「仕方ない」のでしょうか?

  • 十分な住民説明はあったのか

  • 契約に再検討や是正の余地はあるのか

  • “戻せる設計”になっているのか

このようなチェック機能を放棄してはなりません。

「未来の水」に責任を持つ世代として

水道事業とは、今だけの利益ではなく、将来世代に何を遺すかという長期的視点で考えるべき問題です。
20年後、契約満了のタイミングで「やはり間違っていた」と気づいても、そのときには取り返しのつかない損失があるかもしれません。

私たちは今、「まだ取り返しがつく」段階にいます。
だからこそ、制度の撤回ではなくてもよい。中身の見直し、再検証、そして住民との対話の再開こそが、今必要な第一歩です。

最後に――これは反対論ではなく、「市民の問い」

これは過激な運動ではありません。
「どうして水を外資に?」という、ただの市民としての素朴な問いです。

そうした問いが「陰謀論」や「扇動」と決めつけられる社会ではなく、
“当たり前の疑問が堂々と許される社会”を取り戻すためにこそ、今こそ制度の再考が必要なのではないでしょうか。

10. 参考文献・出典・付記

本記事の内容は、以下の公的資料・報道・学術論文・市民団体情報などをもとに構成しています。すべて公開情報に基づき、可能な限り一次資料を参照しています。

公的発言・資料

主な報道記事・論評

  • 朝日新聞デジタル・特集記事(2019〜2025年)

  • 共同通信「水道民営化、反対の声根強く」(2023年)

  • TBS NewsDig「ヴェオリアと水道民営化の実態」

  • Yahoo!ニュース個人/論考記事(神谷宗幣氏発言を含む複数解説)

国際事例・学術資料

市民団体・調査資料

  • 命の水を守る市民ネットワーク・みやぎ

  • 「みやぎの水道ブログ」(反対意見、住民運動記録)

  • 自治総研Web記事:水道事業と住民参加の在り方
     https://www.jichiken.jp/article/0157/

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